コース内容
朱樺は黄金色とかわる。
小島烏水を読み解きます。
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奥常念岳の絶巓に立つ記
レッスン内容

頭の上は大空で、否、大空の中に、粗削あらけずりの石の塊かたまりが挟まれていて、その塊を土台として、蒲鉾形かまぼこなりの蓆むしろ小舎が出来ている。立てば頭が支つかえる、横になっても、足を楽々延ばせない、万里見透しの大虚空おおぞらの中で、こんな見すぼらしい小舎を作って、人間はその中に囚われていなければならない、戸外には夜に入ると、深沈たる高山の常、大風が吼たけって、瓦落瓦落がらがらいう、樺かばの皮屋根の重量おもしの石が吹き上げられて、一万尺も飛ぶかとおもうのに、小舎の中は空気までが寝入っている。
 自分は今まで、富士山や木曽の御嶽おんたけの、頂上の小舎に寝泊まりしたし、或あるいは谷間に近く石の枕で野宿をしたことは幾度もあったが、実は今夜ほど、気味の好よく無かったことはない、自分は一人である、この狭い小舎の中、というよりも天外に奔放する一不可思議線のアルプスに、人類としては、自分と導者の善作と只たった二人が存在するばかりだ、この二人は生れてから昨日までの長い年月に、互に顔も知らねば名も知らぬ人々である、しかして、二人が呼吸のある屍骸しにがらを抱き合わないばかりに横よこたえているところは、高く人寰じんかんを絶し、近く天球を磨まする雲の表の、一片の固形塊ソリッド・マッスで、槍ヶ岳は背後より、穂高山は足の方より、大天井岳は頭を圧すばかりに、儼然げんぜんと聳立しょうりつして、威嚇いかくをしている、僅わずかにその一個を存するとも、猶なお以もって弱きを圧伏するに足るのに、ここに三個を並存している。

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